フランツ・ヨーゼフ
I 世 (1830年生誕) は若干18才でオーストリア帝国の皇帝に即位しました。1916年に崩御されるまで68年の長きにわたり君臨したその間にドイツでは3人の皇帝、ロシアでは4人のツァー、フランスでは12人の大統領、アメリカでは18人の大統領が入れ代わりました。皇帝としての当初は未熟な若さゆえ全ての尊敬を集めるには至りませんでしたが、後に人々から敬愛され崇拝される皇帝となり、治世中、ウィーンは黄金期を迎え、周囲を廻る城壁は壮大な環状道路に代わり世界的な都市へと変貌を遂げたのです。
皇帝23才、エリザベート16才、始めての出会いで恋に落ち、8ヶ月後ウィーンのアウグスティナ教会で二人は結婚しました。ヨーロッパで最も美しく若い統治者カップルの誕生です。皇帝を深く愛するシシーでしたが、息苦しいウィーンの宮廷から遠離って暮らしました。ハンガリーの人々に対する特別な愛情は、ウィーンを離れブダペスト近郊グドローの荘厳な宮殿で多くを過ごす間に築かれてゆきました。離れて暮らす二人でしたが、どんなに長く離れていても皇帝からの手紙の書き出しは必ず
"愛しい女へ、私のエンジェルへ" で始まっていました。
1898年、二人を悲劇が襲います。シシーがジュネーヴで無政府主義者により暗殺されたのです。皇帝はこのあまりにも大きすぎる喪失を乗りこえることはありませんでした。"時は去っても痛みは去らず"
皇帝の心情を表した言葉です。夫を盗み去る宮廷を愛することはなくとも、夫を深く愛したシシー。旧社会におけるシシーの現代性、そして人々への大きな愛と尊敬は、"もし彼が仕立て屋さんだったら"
という夫への願いに表れています。
いままでも、そしてこれからもシシーはオーストリア史の伝説として輝き続けることでしょう。
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